2011.05.01

【群馬県立館林美術館02】(2000)

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設計:第一工房
所在地:群馬県館林市日向町2003
竣工年:2000年

→【群馬県立館林美術館02】(2000)

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2010.11.01

「建築の主観」

2010.10.25

【水戸芸術館】(1990)

水戸芸術館
設計:磯崎新アトリエ
所在地:茨城県水戸市五軒町1-6-8

→【水戸芸術館】(1990)

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2008.09.28

【香川県庁舎】(1958)

香川県庁舎

設計:丹下健三
住所;香川県高松市番町

→【香川県庁舎】(1958)

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2008.09.21

【本福寺水御堂】(1991)

本福寺水御堂

設計:安藤忠雄
住所:兵庫県淡路市東浦町浦

→【本福寺水御堂】(1991)

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2008.09.04

「青春18切符」


電車は続くよどこまでだ

→「青春18切符」

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2008.08.25

「InOut?」

遅ればせながら、修士制作のMovie。

→「InOut?」

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2007.08.26

【姫路城】

お昼ごはんは、丹波に寄り道をして、そばを食べた。黒豆が入っている名物で、期待通りに満足の味だったが、彼は迷わず、いや、何を血迷ったかカツ丼を満足そうに頬張っていた。
その後、姫路城へと車を走らせた。

→【姫路城】

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2007.08.13

【兵庫県木の殿堂】(1994)

お寺を後にした僕らはそのまま北上した。
目指したのは安藤忠雄氏設計の「木の殿堂」だ。

→【兵庫県木の殿堂】(1994)

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2007.08.05

【能勢妙見山「星嶺」】(1998)

始まり

東京発の夜行バスが僕たちの最初の目的地、大阪梅田駅前に到着した。時刻はもうすぐ午前7時になろうとしていた。

空はすでに青味を帯びていて、駅には通勤客が目立ちはじめている。

夜行バスを降りた朝というのはいつも感じることだが、大きなリュックを背負った僕らはそんな日常にうまくとけ込めずにどこか取り残された気分になる。

トイレで顔を洗い、歯を磨いて、この日は暑かったからタオルで体を拭いて旅の準備を整える。

そうやっていつも夜行バスの疲れを無視するように気持ちを切り替え、旅が始まるのだ。



→【能勢妙見山「星嶺」】(1998)

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2007.05.04

【高知県立坂本龍馬記念館】(1991)


桂浜を望む小さな山の上に、高知県立坂本龍馬記念館が空へと突き出すように建っている。
ここの眺望は素晴らしい。両端が途切れずに続く水平線、海岸線に引き寄せる白波と周囲を覆う木々の緑が視界いっぱいに我々を楽しませてくれるからだ。

→【高知県立坂本龍馬記念館】(1991)

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2007.05.01

【道後温泉本館】(1893)

明治27(1893)年ほどに、老朽化していた建物を改築してできあがったのが、この道後温泉本館だ。

→【道後温泉本館】(1893)

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2007.04.29

【天保山サントリーミュージアム】(1994)

天保山サントリーミュージアム
設計: 安藤忠雄建築研究所
所在地:大阪府大阪市港区海岸通1-5-10

→【天保山サントリーミュージアム】(1994)

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2007.04.27

【海遊館】

世界最大級の大きさを誇る、大阪天保山にある海遊館

→【海遊館】

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2007.04.26

「peppers-project exhibition」

2006.11.29

「東京藝術大学季刊誌[空間]24号。」

2006.10.28

「Europe08.」

ミュンヘン市内の通りすがりの教会です。
確かまだ朝が早くて開いていなかったんじゃなかったかな。

→「Europe08.」

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2006.10.24

【アンパンマンミュージアム】(1996)

2006.09.29

【亀老山展望台】(1994)

設計:隈研吾建築都市設計事務所
所在地:愛媛県越智郡吉海町

→【亀老山展望台】(1994)

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2006.08.23

【香川県立東山魁夷せとうち美術館】(2005)

瀬戸大橋記念公園の一角、瀬戸内の海と遥か向こうまで続く橋を臨む海岸沿いに、二層の、海に対して長辺が面している長方形の美術館がある。


→【香川県立東山魁夷せとうち美術館】(2005)

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2006.08.16

【鬼石町多目的ホール】(2004)

2004年、「鬼石町多目的ホール」が小さなこの町に出来上がった。

→【鬼石町多目的ホール】(2004)

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2006.08.09

「文庫本02」

文庫本紹介第2弾です。

私が建築ばっか見に行っていて、建築本ばっかり読んでいる建築マニアだろうと考えていたあなた。
私は建築に関すること、ほとんど何もしていません(〃▽〃)あは♪

興味があるのはデザインであって建築ではなく、建築はデザインの枠の中に入っていると思っています。
さらには建築を創造する能力というのもまた建築以外から得ることが多いと思っていたりしています。
まあ、だから一体なにかというと、相変わらず俗にいうエンターテイメント小説ばかりを読んでいるということです。

で、だから、また紹介させていただきます。
といっても、今回は、建築に関係する、要するに題材とか舞台とかになっているエンターテイメント小説を紹介しようかと。

これなら少しは紹介する意味ができます。
では。

→「文庫本02」

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2006.07.26

【群馬県立館林美術館】(2000)

第一工房の設計による群馬県立館林美術館は館林駅から車で10分ほどの場所にある。

設計:第一工房
所在地:群馬県館林市日向町2003
竣工年:2000年

→【群馬県立館林美術館】(2000)

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2006.07.03

「Europe07.ザンクト・ガレン駅(St.Gallen Bf)→ミュンヘン駅(Muchen Bf)」

ヨーロッパの旅の話を再開しました。またいつフリーズするかわかりませんが・・・(笑)。


ドイツの雪と夕暮れと友達の後ろ姿。

→「Europe07.ザンクト・ガレン駅(St.Gallen Bf)→ミュンヘン駅(Muchen Bf)」

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2006.06.30

【犬山城】

別名白帝城。
1537年に、木曽川沿いの断崖に築城されたそうです。

→【犬山城】

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2006.06.29

【ぐんま昆虫の森】(2005)

安藤忠雄氏の建築を見る度に思うことがある。し、いつも言っている。
そんな簡単に建築って作れるのだろうか、と。

設計:安藤忠雄

→【ぐんま昆虫の森】(2005)

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2006.06.28

【奈義町現代美術館】(1994)/荒川修作論(補足)

荒川修作氏についての批評の補足を、奈義町現代美術館の写真とともに記します。
もしかしたら奈義町現代美術館に興味を持っていただいた方もいるのかな、と思ったことが主な理由と、美術館自体にそれほど特筆すべきことがないので、抱き合わせた次第です(笑)。

設計:磯崎新

→【奈義町現代美術館】(1994)/荒川修作論(補足)

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2006.06.27

【養老天命反転地】(1996)/荒川修作論2/2

岐阜県養老の山裾にある天命反転地は、テーマパークとも有料公園ともいえる施設です。

→【養老天命反転地】(1996)/荒川修作論2/2

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2006.06.26

【奈義の竜安寺】(1995)/荒川修作論1/2

今回は荒川修作氏についての文章です。
少し文章が長くなってしまったので2回に分けて書かせていただきます。
まずは一回目です。

「生命」に関するもので、これ以上の構築物は地球上にはありません。
あなたの身体が中へ入っていった途端「有機体–私」を感じるようにできています。いわゆる、何も知らない有機体と私が切り閉じを始めるのです。ひとつの方向からくる光と、重心がとれないという環境から、毎秒まったく不思議な「気配」が上下左右から出現し、まるで十四〜十六ヶ月の赤ちゃんになってしまうのです。位相的に起こるイベントに伴って「有機体」の動きが「私」を助け始めるのです。あなたの一歩一歩の動きが「重力」を作り始め、その「偏在の場」に光が加わり、体温も変わり始めると、質量をもったエナジーがとてつもなく複雑な場を形成し、そして質量を伴っていないエナジーが不思議な多様な形態を出現させるのですよ。ここで初めて先ほどの情報が位相的に動きだしますが、身体も私も、どのようにその情報をあつかうか、わからないのです。

私は本当の自由というのは何だろう、というところから始まったのです。自由を獲得するためには、人間の世界で何を変えなくてはいけないのか。

10+1 No.40対談「身体の誕生、建築の場から」からの引用。

→【奈義の竜安寺】(1995)/荒川修作論1/2

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2006.06.25

「嘘の適正価格。」

昨日、大学院の友人が誕生日だということで、友人数名で誕生会会場(牛角)に乗り込んで、ハッピバースデイの合唱とおめでとうだけを述べて早々に退散した。


祝って楽しんでいるイメージ映像

→「嘘の適正価格。」

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2006.05.26

「浅間山と鬼押出し園。」

鬼押出し園という観光名所が浅間山の麓にありまして。

→「浅間山と鬼押出し園。」

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2006.05.23

【松本城】

松本城と、日本アルプス。

→【松本城】

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2006.05.22

【富弘美術館】(2005)

群馬県と栃木県の県境にある東村。伊勢崎市から日光へと延びる国道145号線の一本道を進み一時間もかからないうちに草木湖が見えてくる。
ダム建設によって作られた人工湖ではあっても、それを感じさせないくらい十分に綺麗な湖。そんな国道沿いの湖の見える場所に富弘美術館はある。

→【富弘美術館】(2005)

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2006.05.18

【まつもと市民芸術館】(2004)

近づかないと本当にわからない。ここらへんにあったはず、と思って左右を見渡しながら車を進めて、あれだっ、って発見した時には何百メートルもない。
そんな狭く細長い敷地に窮屈そうに建っているのが、まつもと市民芸術館である。
この建物は、TOD'Sよりも前に計画されていて、その後の TOD'S やミキモトなど、いわゆる壁に穴開けた建築(?)へと発展していくその最初の建築である。

→【まつもと市民芸術館】(2004)

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2006.05.17

「Europe06.ザンクト・ガレン市内(St.Gallen)」

2006.05.16

「Europe05.クール駅(Chur Bf)→ザンクト・ガレン駅(St.Gallen Bf)」

次の日の朝、スイスの友人と別れると私たちはドイツのミュンヘンを目指し北上した。
夜中を通して降り積もった雪は、靴の半分以上が隠れるほどになっていた。電車が止まっていないかが心配であったが、それ以上に気掛かりだったのは、この大寒波の最中に北上などして友人が凍え死なないかどうかであった。

→「Europe05.クール駅(Chur Bf)→ザンクト・ガレン駅(St.Gallen Bf)」

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2006.05.08

「Europe04.ヴァルスの温泉( 1996)」

イランツの駅前のロータリーからバスで30分程度揺られ、雪山を越えた場所に今回の目的地がある。
ヴァルス(Vals)という小さいリゾートのスパ、建築家ピーター・ズンドーの「ヴァルスの温泉」である。

→「Europe04.ヴァルスの温泉( 1996)」

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2006.05.03

「Europe03. クール駅(Chur Bf)→イランツ駅(Ilunz Bf)」

午後、私たちの市内散歩の終了を見計らうように、雪が止んだ。

→「Europe03. クール駅(Chur Bf)→イランツ駅(Ilunz Bf)」

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2006.05.02

「Europe02.クール(Chur city)」

山のふもとにあるクールの街はとても小さい。

→「Europe02.クール(Chur city)」

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2006.05.01

「Europe01.チューリッヒ駅(Zurich Bf)→クール駅(Chur Bf)」

チューリッヒ駅に降り立った時にはもうあたりは闇に包まれていた。

→「Europe01.チューリッヒ駅(Zurich Bf)→クール駅(Chur Bf)」

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2006.04.29

「Europe00.成田空港(Narita)→チューリッヒ空港(Zurich)」

スイスのチューリッヒ空港へは予定時刻よりも二時間以上遅れて到着した。

→「Europe00.成田空港(Narita)→チューリッヒ空港(Zurich)」

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2006.04.10

「6年目の桜。」

羽田空港から東京モノレールに乗って見た大井の桜。
それが私が東京で見た最初の桜だった。
あれからもう5年が過ぎて、私は25歳になりました・・・。

→「6年目の桜。」

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2006.04.05

「文庫本。」

いつもデザインや建築の本、その他、知識教養を得るための本は片隅に紹介させていただいていますが、ちょっとばかりそれ以外の本についても紹介させていただこうかな、と思いました。
時間軸で並べてもいいのですが、今回は私見によるジャンル分けをして紹介させていただきたいです。
最初は、じーんとくる物語。要するに感動物です。
次は、ミステリーです。

紹介する理由は、まず自分の好きな本を記憶しておくため。
そして、やっぱりたくさんの人に知って欲しいからです。

紹介する本は、この半年くらいの間に読んだ本です。まあ、よく知られている本がやはり多いですね。
そしてその関連も少々。
特に奇をてらっているわけではないので、素直に紹介したいです。

→「文庫本。」

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2006.04.03

「せんだいデザインリーグ(卒業設計日本一決定戦2006)」


せんだいデザインリーグ「卒業設計日本一決定戦2006」
イメージは2005のです・・・。すいません・・・。

四年前から東北大が主催して始まった日本一決定戦。
今や賞金まで出るようになりました。私も去年、出展したなあ・・・。

で今回、私は日本を離れていたために見ることができませんでしたが、なんと私の後輩が日本一になっちゃいました( ゚Д゚)!!!

→「せんだいデザインリーグ(卒業設計日本一決定戦2006)」

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2006.02.23

【表参道ヒルズ】(2006)

2006.02.07

「前川國男建築展」

2006.02.04

【スパッツィオブレラギンザ】(2005)

設計:黒川紀章
竣工:2005
住所:東京都中央区銀座1丁目

→【スパッツィオブレラギンザ】(2005)

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2006.02.03

「黒川紀章 フラクタル展」

2006.02.01

【MIKIMOTO Ginza2/ミキモト銀座2】(2006)

2006.01.24

「オラファー エリアソン 影の光」

2006.01.21

「なくなる。」

帰省途中の車窓から見た街は真白な雪で覆われていた。
久しぶりの景色だと思った。

→「なくなる。」

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2005.12.28

【国立新美術館(未完時)】(2006)

所在地:東京都港区六本木
設 計:黒川紀章・日本設計共同体
建築面積:約14,000m²

→【国立新美術館(未完時)】(2006)

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2005.12.27

「吉村順三建築展が無事終了いたしました。」

2005.12.23

「2005横浜トリエンナーレ」

どうでもいいんですけども。
つい先程、ドラマ、「1ℓの涙」の最終回を目に涙をためながら見た。
そんな後で書く内容が、横浜トリエンナーレというのは、いかがなのか。
感傷的な文章になったらどうしようか今から心配。彼女のように、この文章が誰かひとの役に立っているとは思えないけども、まあ、読んでくれている人たちがいてくれるので、ほんとに感謝しつつ、今回も展覧会のレポートをさせていただきたい。

しかし。
実は今、夜中も遅い時間。そう。ドラマを見ていたから。
そのため、書いている間に朝になったらどうしようか、という一抹の不安があったりなんだったり。どうしよう。
そこで何かいい方法はないだろうか少々考えてみた。
黙々と書いてりゃいいのに考えた。
で、やっぱりたくさん書いちゃった。(談/書き終わった後)


アートは人を楽しませるものではないのか。
はっきり言って、がっかりした。横浜トリエンナーレ。前にも述べた言い方だが、「粗雑」の一言に尽きる。新鋭とはいえ、プロがこんなことでいいのかと本当に嘆きたくなったし、アートとはいったい何なのか、私自身混乱してしまった。
あまりにリアリティがなさ過ぎる。現代アートの特徴としてあげられる、わかりにくさ。だが、わかりにくいものでも「いいもの」というのは何かしらの感銘を受けるものだ。
頭で理解できなくても、感覚が喜ぶ。(ってわかりにくい表現だけど・・・。)「その感覚」が身体を喚起して肉体のリアリティへとアートが還元される。(わかりやすいところでは、胸が高鳴るとか、鳥肌が立つとか、立ちすくんでしまうとか。)
だが、今回の展示物はどうだろうか。まるでどこにも響かない。それどころか、押し付けがましく一方的に主張してくる展示物たちに、私は、そのすべてを跳ね返したくなった。
押し付けがましく感じる理由は、ただ一つだ。制作者は私たち鑑賞者のことなど、何も考えていないからだ。鑑賞者の数に対して、通路は狭く、入り口は小さく、通路は暗過ぎる(アートそのものの)。そして、不案内さ。鑑賞者を無視したこれらをアートと果たして言えるのだろうか。一個人の思考こそがアートの根底であるならば、鑑賞者を無視することも正当なのか。
私には、どちらがどうなのかさえわからない。
ただ、少なくとも今回は、さながら高校の学園祭レベルであったと言ってもいいだろう。
今更ながら補足させてもらうと、決してすべての展示がそうであったわけではない。後半に見られた大掛かりな展示や、巨大な盤上サッカーゲーム等、いくつかおもしろく、考えさせられるものはあった。1800円を支払ってまで見なければならないほどのものではなかったが。
また、技術的な問題から実現はしていなかったが、オランダのアーティスト、マリア・ローゼンが、ピンクの紐で作った髪の毛を生やすというアートを横浜マリンタワーのてっぺんでも行おうとしていた。もし実現していれば、おもしろいものになっていたに違いない。


自治体がアーティストを超える。
というわけで、今回、収穫があるとすれば、それは展示されているアートではない。
自治体が興したイベントに見合うだけのアートを提供できなかった、というアーティストの敗北が起こりうることを知れたことだ。
主催した横浜市の気合いの入れ方と、実行力は素晴らしいと思う。それだけに、なおさらアートの質の悪さが残念で仕方がない。今回ほどの展示スペースを与えられて、自由に好きなことをさせてもらえる機会は、そう多いものではないだろう。もっと素晴らしいことができたはずではないか、考えてしまう。もし、自分ならどうしただろう。今回、来場した人たちが、この次もまたリピーターとして来場するかどうか、横浜トリエンナーレにこの次があるのか、とても心配になる。
企画が素晴らしいのにも関わらず、興行として続かないとしたら、それはアーティストの問題であるのだから。果たして今回、横浜市が想像していた以上のアートを、アーティストは提供できたと考えているだろうか。


アートの市民権。
自治体がアートを都市の発奮材として使おうとしている。日常にしようとしてくれている。その期待に一般の人たちが応える。人の入りは想像以上だった。安くはない入場料を支払って、家族連れ、おばさま集団、中学生、高校生のデートコースとして、「普通に」使われていた。私はその光景だけで嬉しい気持ちでいっぱいになった。楽しんで欲しい。楽しんで帰ってほしい。奇抜なもの、おかしなもの、すごいもの。いっぱい感じて触って感じてほしい。
みんな、アートを楽しんでくれただろうか。楽しめただろうか。まわりのみんながアートに近づいてきてくれている。それなのにアートが、アーティスト本人たちがいつまでも狭い世界に閉じこもっていてはだめだろう。常に高い質のアートを提供し、自らを売り込んでいくにはどうするべきか、みんなを楽しませるにはどうしたらいいか、鑑賞者に負けないように考えなければならないと思う。アートはアーティスト自らの内を表現するものかもしれないが、だからといって、決して本人が楽しむためだけのものではない。
アートとは、本人を含めたすべての人たちを楽しませるためのものだろうから。

またまた極端な論旨ですいませんでした。






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2005.12.21

「日本の現代住宅1985-2005」

現在「ギャラリー・間」で開催されている展覧会、「日本の現代住宅」を見てきた。
ギャラリー・間は今年20周年という節目の年だそうで、今回の展覧会もなかなか力が入っていたと思います。
と、まあ。
そんな話はいいとして。

ここでいう現代住宅史とは過去20年間で建築家によって作られた住宅を指しているが、この、住宅の歴史を振り返って見ていくことで何がわかるだろう。それを考えた。

住宅を分類して考える。
123の住宅を見るにあたって、私は作品を4つに分類することにした。

縦を意識した開口の空間
横を意識した開口の空間
閉じている空間
どれでもないもの

この4つ。
こういったアーカイブを前にして、ひとつひとつの建築空間を断面模型から読み取ることにそれほどの意味はない。おもしろいと思うものがあれば、メモでもしておいて、後から雑誌でも開いてみればよい。私がおすすめする見方は、どこかひとつかふたつに着目して、それを比較しながら見ることだ。
今回私は、開口部に着目してみることにした。


住宅は開口部から考える。
なんていうサブタイトルですが、その限りじゃないと思いますよ。もちろん。
住宅を考えるときは、必ずその敷地のコンテキストというものを考えます。大きさはもちろん、周辺環境や方位、日当りや風通しなどの法規上の規則など。建築家が何に着目して設計したかは、開口部を見ることでわかることが多い。逆に言えば、建築の開口部の考え方を見ることでその土地のコンテキストがある程度読み取れる。
で、何がわかったか、ですけど。

2005年に近づくほど、建築が閉じていく。
もちろんこの傾向は、私の独断で分類した結果のもので、誰が見てもこうなるわけではないと思う。しかし、私の目にはそう見えた。現代へ向かうほど建築が閉ざされていくというのは、当たり前のような気もするし、意外な気もする。異論を唱えられる前に念を押しておくが、あくまでこの展覧会における、私見による統計的な傾向である。
公共建築やオフィスビルでは、ガラス建築が全盛であり、ガラス狂信国を誇る日本。それがこと住宅となると、なぜか開口部を減らす傾向にあるようだ。いったいなぜだろう。

環境の変化。
私なりに推測すれば、閉ざした建築の増加は、以下の影響によるためではないだろうか。
周辺環境の変化、重要視されるプライバシーなど住み手の感覚の変化、設備の進化、の4つである。
周辺環境の変化とは、文字通りの意味で、敷地のコンテキストの傾向が変化したということだ。この20年の間でも、敷地状況は大きく変化した。その中でもっとも顕著なものの一つが敷地の大きさだ。狭い土地を購入し、狭小の一戸建てを建てようとする若い施主が増えたために、敷地には余裕がなく、単純に大きな窓を開けて採光や開放感を得ることができなくなったのだ。
それは、そのまま住み手の感覚の変化へとつながる。敷地に余裕がないことや、最近の凶悪犯罪の増加など、世間への不信感によって、外部との接触を断つように開口部の減少を後押しする。さらに、自然に頼ることなく快適な環境を得られる機械設備が満足できるレベルに進化したことも大きいだろう。
このように、閉ざすべき環境を整えられた建築は、その潮流に飲み込まれ、流された結果とは言えないだろうか。

建築家は、ただ、流されてきただけではないのか。
この展覧会から読み取れるのは建築家の思考の進化・発展から導きだされた歴史ではなく、地域環境や住人の意識の変化に流されるようにたどってきた無力な建築家の歴史ではないか。建築家たちは、自分たちによって築き上げた土台の上に今の現代建築があるように錯覚しているだけで、実際は時代や環境に素直に従ってきたに過ぎない。
さらに言えば、建築家が時々の状況を素直に具現化して見せてきたことで、悪循環の実態が人々の目に入り、定着し、心に残って、今の社会を確立させているのではないか。
少し、極端すぎるか。
この話。
だが、考えられない話でもないだろう。建築家は、現在の潮流に飲み込まれることなく、無理矢理抗うこともなく、未来の潮流を作り上げなければならない。住むべき家は個人のものだが、その建築は、地域であり、町であり、都市そのものなのだから。

この展覧会の意味は。
ある程度まとまった時間を圧縮して見てみることで、普段は見えない何かがはっきりと見えてくることがある。見えるものはひとそれぞれ違うだろうが、きっとどれも有意義なものであろう。
ただ、どのような意見を持ったとしても、このアーカイブをもとに、住宅を作るとはどういうことかを改めて確認するべきだろう。


2005年12月8日(木)~2006年2月25日(土)
11:00-18:00(金曜日は19:00まで)
休館日:日曜・月曜・祝日、冬期休館(12/23~1/9)
入場無料

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2005.12.19

「吉村順三建築展」


「吉村順三建築展」に学ぶこと。

→「吉村順三建築展」

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2005.12.14

「デザインの生態学」

デザインの生態学。
やっぱりいい本は、きちんと頭の中で整理しておかないといけないなあ。
読むことは、累積的な学習ではく、既存の意識を壊し、壊した廃材を使って再構築していく行為だとしても、わかりやすくまとめておけば、たくさん再構築できるかもしれない。だけど、自分じゃ覚えておけないので、外部に記憶しよう。・・・・・・うん。
本に紹介ではないので、抜粋して唐突に始めてみました。


建築家で中部大学教授、慶應大学講師である後藤武氏はこう述べる。


制作の現場においては、配列もスケールも一般的に適応可能な前提にすることはできない。その都度の与条件に応じて更新され、常に最初からやり直されざるをえない終わりのないプロセスであるほかない。絶対的な根拠を欠いた操作の中から、独自のレイアウトとスケールを生み出すこと。それが制作と呼ばれる一連のプロセスなのではないだろうか。


この言葉は、私たち制作者にとって深い絶望と希望を同時にもたらす。
私たちの作業の多くは意味を探すことだ。いつか自分の制作プロセスに意味と根拠が付随することを願い、またそう努力してきている。
だが彼はそこに根拠が生まれることはない、と言っている。希望とは、今の制作方法が間違っていない、という安心感である。
プロダクトデザイナーの深澤直人氏の言葉が続く。


「ピアノを弾く」という行為に関して、「弾く」ということを考えると弾けなくなる。ダンサーもそうだし、スポーツ選手もそうです。
意識ということを越えないことには達成できません。そこを身体にゆだねた瞬間に、すべての調和が合って飛躍的な効果を出すということだと思います。画家もそう。



じゃあ、デザイナーのやるべきこと、デザインとは何なのか。そう考えてしまうのだが、深澤氏は明快に答えを出してくれている。
とてもありがたい。彼は色々な言い方で細かく説明してくれているのだが、要するに以下に尽きると思う。


完璧に「はまる」線をどう作り込めるかということ。そのことがデザイナーのやるべき仕事だと思っています。
ジグソーパズルの穴を見るような感じです。



彼は、デザインとはデザイナーが何かを生み出す行為ではなくて、必然的にそこにある(見える)ものを発見することであり、発見したものを丁寧にトレースする作業であると言っている(と思う)。
なぜなら、先に述べたように制作の過程においては、無根拠であり無意識的な作業、つまり感覚が締める割合がほとんどであるが、それを改めて意識して作業プロセスを再構築していくことは不可能だからだ。意識した途端に、出来なくなってしまう。
そして見つけた穴と、埋めるべき蓋の輪郭を慎重に重ね合わせていく。この時、隙間ができてはいけない。デザイナーとそうじゃない人に境目はそこにあると私は思う。もっとも慎重に時間をかけて行う作業なのだ。もし短絡的に行った場合、デザインは雑なものになり、デザイナーは職能を失う。
というか、私の言葉よりも深澤氏の言葉の方が明快。・・・・・・・・・。


漁師が釣り上げた魚をそのまま食べればいちばんフレッシュだという理論に、人間の人為的なものである醤油を加えるわけです。フレッシュな魚がもっともうまいと思いながら、醤油の味を忘れて「寿司」を感じ取って味わっている。
だからこそ、そこに注意をはらわないといけないというところがデザインなのです。
(略)
「いい」というところまでは共有できる感覚だと思います。その感覚を収束させていく時の、醤油の付けぐあいというか、作りぐあいが重要なところです。



彼はそれを「ぶれ」を少なくするという言い方で、説明する。
う~ん。
いい本をまとめる時は、どうしても抜き出したくなる箇所が増えてしまって、ただの写しみたいになってしまってよくないなあ。
名文がたくさんある本も困ったもんだ。

何かを作るという作業は無根拠になることが多い。経験則によるところも多い。だけども出来上がったものに最終的に優劣がついてしまうとすれば、どのくらいの人が自然に共有できるかどうか、なのだろう。デザインの過程において、デザインすべきところ以外をどれだけデザインしたとしても無意味でしかない。脱線してしまう可能性が高い。そのデザインにおけるポイントはどこか。それを徹底的に突き詰め、意識し、デザインしていく。
醤油を軽んじている人がどれだけいるか。私はそうならないように肝に銘じたい。
まあ今、理解しているつもりでも、きっとできないんだろうけど...。
つーか、その前に魚を釣らなきゃいけないなあ。

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2005.12.13

「茶の本」

茶の本。

岡倉覚三著。

岡倉覚三は著者の本名であるが、私たちには岡倉天心といった方が馴染み深いだろう。
1862年に生まれ、1913年に51歳でこの世を去った岡倉天心は、美術家、もしくは美術評論家、美術教育者として明治期に活躍した。1889年に東京美術学校、1989年には日本美術院を開校し、日本の美術家の育成に貢献している。
日本に滞在するよりも長く海外を外遊し、今日でも、その名は国内よりも外国の方がよく通っている。

彼は結局、本著によって、東洋の美術の唯一性や鑑賞法、また人生哲学までをも茶道に見ることができると伝えている。
本編は翻訳本のため表現にやや読みにくさがあるが、その内容は濃く、1929年の発行であるにもかかわらず、現代にも多く適応して読み解くことができる点が素晴らしい。
今年2005年にもまだ増刷を続けており、私が手にした本著は102刷目であった。

主に前半では、東洋と西洋の美意識の違いを、茶、を用いて説明している。茶は道教であり、儒教を引き継いだ禅道の思想をその根に持つ。つまり、不朽は永遠の変化に存すという考えにきているという。


興味あるところはその過程にあって行為ではなかった。
真に肝要なるは完成することであって完成ではなかった。



茶を遊びではなく儀式へと昇華させていったのは、古代中国の唐や宋であったのだが、長い災禍のために崇高な信念を失ってしまったようである。
そこで茶を道にまで昇華発展させたのは、日本であった。
729年に初めて日本の書物に茶という文字が記されているようであるから、日本における茶の歴史も決して短くはない。
道教の思想とは以下によくあらわれている。


道教でいう絶対とは相対である。物の釣り合いを保って、おのれの地歩を失わずに他人に譲ること。個人を考えるために全体を考えることを忘れてはならない。
これを「虚」といい、物の真に肝要なところはただ虚にのみ存する。



彼はまた建築、つまり、茶室もその思想を用いて説明する。


たとえば室の本質は、屋根と壁に囲まれた空虚なところに見いだすことができるのであって、屋根や壁そのものにはない。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動することができるようになるであろう。全体は常に部分を支配することができるのである。


これを芸術にあてはめればどうなるか。
彼はこう言う。


何物かを表さずにおくところに、見る者はその考えを完成する機会を与えられる。傑作はわれわれによって存する。畢竟(ひっきょう)するところ、われわれは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのである。


彼はこういった美に対する思想は、道教によるものであり、道教を昇華し広く伝えていったのが茶道であると言っている。またその思想は西洋の押しつけるような美とは異なり、その過程や、見るものとの調和を必要としているものであると言っているのだ。

後半ではさらに日本の美について多く語っているが、その中から一つ。


道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた。真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見いだされる。人生と芸術の力強いところはその発達の可能性に存した。
茶室においては、自己に関連して心の中に全効果を完成することが客自体に任されている。





現在のデザインや芸術の価値を判断することは難しい。
価値とは自分そのものであり、そのものの価値が少数の他人にしか認められていないほど価値が高いというのは、否定することはできない。だがよいものには人が集まり、利用し、高価になることも決して間違いではない。少なくとも私はそうやってよいものをもっと日常的に広めようとしている。
だがデザインがその本質 (椅子ならば座れるという本質) 以外では個人的趣味に基づくものであり、またそうであることが肝要であるとするならば、よいデザインを広く伝えていく、普及させるということは一体何なのか。
芸術はもはやその身を資本の流れに委ねなければ成立しえない。自分によって完成する美が理想とする美だという考えに私は肯定的だが、その美は誰にも理解されないものであり、理解されてはならない。それでは美を広めることは不可能だと言える。
現代美術であっても同じ事だろう。展示してもらうためには、「一般的」に認められるものでなくてはならない。
少なくとも選定者との調和が必要である。
この時点で、岡倉天心、もしくは茶道の宗匠の考える美とは一線を隔ててしまう。
もちろん一般的美的感覚が重要な美というものも確かにあるだろう。だが、往々にして一般的美的感覚によって作られたものはチープなものになりがちである。ハウスメーカーによる住宅にデザイン性が欠けているように。

うーん。また自分では解決できない問題を考えてしまった...。

例えばこの現代に私の個人的趣味に基づいた茶室を作ったら、人は自身の内なる美を楽しみに我が庵へと足を傾けてくれるだろうか。
工業主義が一段落し、個性や個人が叫ばれる今ならば、もしかしたら「唯一の美」というものがそこに成立するのかもしれない。だがもし、現代の茶室「我庵」が路地にまで人で溢れかえったとしたら、その時そこは美の本質を見いだす場といえるのだろうか。

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2005.12.10

「2005年東京デザイナーズウィーク」

終わったことなので、簡単に言いたいことを。
今年のデザイナーズウィークでは、学生作品展ストリートファニチャー国際大会が、屋外で楽しむ「エコ」ファニチャー、というテーマで、開催されました。
残念ながら、芸大の方は出展されてなかったようですが、ほとんどの芸術系の大学は出展されていたようです。
今回私が簡単に見て歩いた印象は、とても、

「雑」

なものだったのではないかと思いますね。

普段、デザインについてあーだこーだ言っていますが、
デザインとは、直感を具現化させる工程のことを指している(こともある...)んじゃないかな。
今回、賞を取られた方たちの作品は、相対的に見て、よい印象を抱いたものが多数でした。
が、その入選された方達の作品であっても、その多くは雑という総評を免れないような気がします。

つまり、ファーストアイデアから、具現化させるための過程があまりにも短絡的だということです。
私の見た所、その過程をすっ飛ばした方がよい作品、というのが賞をとったように思うんです。
そのくらい、過程に対しての配慮が欠けている。
デザイナーに直感は必要ですし、自分の直感を疑うことは絶対にタブー。
だけども、デザイナーの直感と、そうじゃない側の人たちの直感の違い(差)は、そう大きくはないのではないかと個人的に思います。
じゃあ、他者とは圧倒的に違っていて、また、それこそが我の職能であり個性であると言うためには、直感に対する配慮、が絶対に欠かせないんですよ(具現化させる過程を含めて)。

直感を頭の中で、組み立てて、人に伝わりやすいストーリーを作ること。
それを具現化させるときにどうすること(素材、工法、大きさ、色...)が、一番いいのかをスタディすること。
なぜ、そのアイデアのコンセプトをが重要(おもしろい)と考えているのか、を何度も問い直すこと。

わかりにくい日本語ですけど、
直感で思いついて具現化するまでに、どれだけの過程(思考)を直感したワン・アイデアに詰めこもうとしたのか。
私だけではなくて、はっきりいって誰にでもすぐにわかりますよね。それこそ直感的に。
あ、これ、考えてないな、ってやつありますよね。おもしろさとは別に。

エコ、がテーマです。
って言われた時に、瞬間にいくつかアイデアが頭の中に浮かぶじゃないですか。
それはまた同時に、最終的な形態まで、見えてしまっていることもあるんですよね。
さらに、あ、じゃあ、あの素材使おう、なんてことまで瞬時に決まっちゃう。
さ、後は作るだけだなあ。
って感じ。

で、そんなこと考えて今回の出展作品見ていくじゃないですか。
そしたらあるわけですよ。ちゃんとそこに。
私の頭の中でぼやけながらも素材感まで決まっている何かが、そのまま。
後は作るだけ、っていうのを作ってくれてるんです。
そんな作品がとても多かった。

んで、私はそれを、デザインが雑だ、って思ったんですよ。
アイデアがおもしろいのは沢山あるし、カタチ的におもしろいのも沢山あるんだけど、どこかちゃっちい。
私がちょっと思いついた程度のものを、そのまま作るなよ、と。
もっとスタディするところがあるだろう、みたいな。
たぶん、多くの作者は、その作品に大した愛着を持っていないはずです。
保管のしにくさに負けて解体するくらいの愛着。

ありふれた材料でいいですし、とっても心地よい当たり前な直感でいいですから、個性と愛着のある、過程というデザインがもう少し見たかったなあ、とほんと思いました。
例えばザハ・ハディット氏のデザインしたソファー(椅子...?)みたいに、もののかっこよさで批評者にグーの根も言わせないデザインもあるんですけど。

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2005.12.01

【モエレ沼公園】(2005)

master:イサム・ノグチ
監 修:イサム・ノグチ財団
設計総括:アーキテクトファイブ
用 途:でかい公園
所在地:札幌市東区東丘珠599-1

→【モエレ沼公園】(2005)

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2005.11.18

「オルタナティブ・モダン 建築の自由をひらくもの」

オルタナティブモダン
建築の自由をひらくもの

という本を読みました。2004年に発行された書籍です。
どうしてこう、建築言語とは難解なんでしょう。もっとわかりやすく喋ってもらいたいもんです。
文章になっている言葉はどこまで本当に、つらつら喋っているのかわかりませんが、みなさん賢いですね。
ほんと。
建築言語で建築を語っている限り、決して建築業界の四面楚歌というか、相手にされない、必要とされない状況は改善されないと思うといつも言っていますが。
エンドユーザーがついてこないのは確実にわかります。
ハウスメーカーの広告のような、わかりやすい言語に昇華することができて初めて、このくそわかりにくい議論にも意味がでてくると思うんですが。

この本は全5冊の小冊子からなっていて、4冊は建築家の講演内容、一冊はそれを総括する形で批評家、エンジニア、計画家が議論しています。
「オルタナティブモダン」とは、ありえたかもしれないもうひとつのモダニズム、という意味。これまでのポストモダン等、モダニズムからの脱却を
図ってきた近現代建築は、そもそもモダニズムを時間軸の中のひとつのトレンド(様式)のように扱ってきていたんだけど、しかしどうにもうまくいかない。
そこで、時間軸で直列に一つの様式を並べるのではなく、分類できない建築たちを並列して並べることでモダニズムの意味を問い直せないか。
そういう感じです。
で、
私が興味をもった箇所がいくつかあって、それを忘れないうちに書き留めておこうと思いました。
モダニズムのそもそもは、アドルフ・ロースの「装飾は罪悪である」という思想から始まっています。
ロースは、一つの様式、一つの思想で建築を作ることは、その使用者に対して、過度に行動や思想、生活感を制限してしまう、それではいかん、と言いました。
例えば、部屋を全部、未来的に、丸みをつけてアルミでぴかぴかに覆ったら、その空間には木の家具やアンティーク、角のあるものは置くことができません。
置いたとしたら、空間の統制がとれなくなることが誰が考えてもわかるからです。

極端な例でしたが、要するに、使用者がどう使っても部屋のデザインがバラバラにならないように装飾、建築を考えろ、と言いたかったわけです。

しかし、その言葉は、だったら何を置いてもしっくりしちゃう空間、つまり白い箱がいいじゃん。という風な誤解(?)を生み、白い箱のような空間がトレンドになりました。
モダン、と言われるそもそもの空間です。
さらにル・コルビュジェは装飾と構造を分けて考える「ドミノ・システム」を提案。
これが決定的になり、装飾と構造はまったく異なる概念として現在にいたってきています。
ミースが言った「Less is more.」という言葉もまさに、装飾と非装飾(構造)、つまりはシンプルとコンプレックスは対立しているという根底にあります。

改めてモダニズムの流れを見てみると、モダニズムとは、誰がどこでも同じように使える、という思想ではなく、建築の多様性の思想であることがわかります。
建築の多様性とは、簡単に言うと一人のための建築ということです。
そもそもモダニズムと多様性は相反するものという考えをどこかで抱いていたけど、ここではもはや今までのモダニズムの定義は当てはまらない。
結局我々はモダニズムのほんの一部しか見えていなかった。
モダニズムの持つ恐ろしく広い定義の中のホワイトキューブしか知らないんじゃないだろうか。
ま、言い方の問題でしかないのはわかっているんだけど、やっぱり、モダニズムとは違う、地域に根ざしたバナキュラーなものを作りたい、とか言うように、ポストモダンは馬鹿にしながらも結局、
脱モダニズムを目指していたような気分とはかなり違ってくる。
脱モダニズムではなく、モダニズムの中の一つのベクトル。
それがどうしたって感じだけど、なんかやっぱり大分違うのよ。
なんか。

それで、思い出したのが、今流行っているらしい、黒と白の世界。つまり身の回りのモノが白と黒で統一されている。
白い部屋に黒いソファーやテレビラック、無機質なアルミ調のオブジェ。
何らや、普通の方達の思考は一回り遅いらしい。
これこそ20世紀、モダニズムの求めていた世界。
彼らは今、モダニズム思考になっている。インテリアショップ等、売る方も買う方もモダニズム。
デザインを生活に取り込もうとしているだと思います。
けどね、建築のことばっか考えてる人たちは、もうそこにはいないのです。
いかにモダニズムの他のベクトルを探し当てるか、「あなたが幸せになる唯一の空間を提供できるか(モダニズム言語でもよし)」を考えています。
そんな思考の時間のずれがどうにもくやしいです。
やっぱり、我々の思考が伝わりにくい、わかりくいのだと思う。
難しい思想は東大の方達におまかせして、私は、それをかみ砕いて伝えないといけないな、と改めて思った今でした。

で、

ザ・モダニズムの空間を求める若者たちは、それはそれでいいんですよ。
デザインが世の中に浸透してきた証拠だし、デザインが人生に必要なものだと、人生を豊かにしたりスパイスになったりするんだと気付いてきたんだと思います。
だけどね、これからデザインを見極める力を養ってもらいたいなあと思う。シンプルで生活感なくて、白と黒でびしっときめたらそりゃあおてがるにデザイン空間かもしれないけど。
そこから始まるものだから、そこで終わってほしくないと心から思います。
イイモノとダサイモノを見極める力は、いいとされるものを沢山見ること。椅子もテーブルも照明も棚も。
そうでないと、生活感がないだけの空間になるし、それは実際住みにくいですし。
それを教えるのもデザインに関わる人たちの役割だと思います。

話があっちこっちいってしまったけど、今だに建築を含め、デザインは、モダニズムとは何なのか、という問題に答えを出せていません。
答えなければならないのではなく、そこを理解し消化しないことには新しいことはできないと思うので。

ポストモダンはおろか、モダニズムでさえ聞きかじったにすぎない我々の世代は、それを体験してきた世代とは明らかに違うはず。
そんな自分自身をちゃんと理解できるようになったとき、モダニズムというベクトルの集合体は、ゆっくりと解体を始め、形をなくすように消えて行くのかもしれません。


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2005.11.17

【ドラゴン プロムナード】(1998)

ドラゴン プロムナード

所在地:長崎市元船町14-389
設  計:Michael Rotondi(マイケルロトンディ/ロトアーキテクツ)
用  途:上屋(展望プロムナード)

→【ドラゴン プロムナード】(1998)

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2005.11.08

【福岡アイランドシティ中央公園テーマ館・ぐりんぐりん】(2005)


タイトル『ガマおやびん』
設計:伊東豊雄
竣工:2005
住所:福岡市東区アイランドシティ中央公園

→【福岡アイランドシティ中央公園テーマ館・ぐりんぐりん】(2005)

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2005.11.05

【JR新八代駅前モニュメントきらり】(2004)

設計者: 乾久美子建築設計事務所
所在地: 熊本県八代市西片町
竣 工: 2004年

→【JR新八代駅前モニュメントきらり】(2004)

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2005.11.03

「吉村順三展開催間近。」

2005.11.02

「時間の終わり/杉本博司」

2005.08.19

【広島市西消防署】(2000)

設計:山本理顕設計工場
所在地:広島市西区都町43-10
竣工:2000年3月


→【広島市西消防署】(2000)

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2005.08.16

【国立広島原爆死没者追悼平和祈念館】(2002)





国立広島原爆死没者追悼平和祈念館とは、国として、原子爆弾死没者の尊い犠牲を銘記し追悼の意を表すとともに、永遠の平和を祈念するためのものです。併せて、原子爆弾の惨禍を全世界の人々に知らせ、その体験を後代に継承するための施設です。(引用)

設計:丹下健三・都市・建築設計研究所+国土交通省中国地方整備局営繕部
用途:資料館
竣工:2002
所在:広島県広島市中区中島町1

→【国立広島原爆死没者追悼平和祈念館】(2002)

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【広島平和記念資料館/広島平和公園】(1950)

設計:丹下健三
所在:広島市中区中島町1-2
竣工:1950年

→【広島平和記念資料館/広島平和公園】(1950)

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2005.07.28

「現代建築のパースペクティブ」

という本を読みました。
いや、しかしなんだってこんなに高いんだろうか。

850円。

文庫本一冊がそんなにするなんて、何度買っても信じられない。


かと言って中古本ってどうも私は買いにくい。
漫画とかならガンガン買うんだけど、何でかというと、私が本を買うときはフィーリングに因るところが多いから。
つまり、本の色とか、文字とか、俗に言う表紙買い(CDで言うジャケット買い)とか、タイトルだとか、そういうデザインを好んで買うことがほとんど。
だから、作家や出版社なんかにこだわりがまったくない。
書店では平積みしていたり、紹介文ついたりしているのに手が伸びるし。
そこいくと古本屋っていうのは平積みしてないからデザインがぱっと見えない。捜すのに時間がかかってけっきょくイイやってなってしまう。
数で勝負するのも確かにいいんだけど、もうちょっと余裕をもって並べて欲しい。


で、五十嵐太郎氏の文章というのは一般的に見てもとても読みやすいし、明快でいてなるほどな、と思わせる。
また自分の思想に基づいて語ってくれるために批判もしやすい。だから私は、彼の文章を読みながら色々なことを考え、妄想することが多い。
これがとてもおもしろく、自分のためになる。
ただ、彼の思想というのは明快であるために、何らかの本を読んでいれば、かなりの確率で同じようなことを言っている他の文章を目にすることになる。
この本も、私の目にはいかにも彼らしい、悪く言えば代わり映えのしないことを言っているものとして映った。
だから尚更850円は高いんですよ...。

何とかもう少し安くしてもらいたい。


この本の醍醐味はなんといっても彼一人の視点から数多くの作品を羅列的に説明していることにある。一人の思想で、多くの作品を説明してもらうことは、とても有意義だ。
建築家の講演なんかの説明では、ある思想を説明された時に、

「じゃあアレはどうなんだ。もしくはコレの場合言っていることの説明がつかない。」

なんてことが多く、消化不良に陥る。
だから、アレもコレも説明されるととても嬉しいのだ。
それだけでも一見の価値がある。

氏は、建築とは空間である、ということを前提としながらも、そこで起こる出来事をより重要視しているように思う。その空間を使う人たちに、どんな出来事をプレゼント出来ているのか。


人ありき。


ま、


当たり前のことだけど。
空間を作っているのではなく、そこで起こる出来事を作る。
その結果の素晴らしい空間。
この流れは作っていると忘れやすい。(課題でだけど(;´д`)ノ)

さらに中盤では、建築家を世代ごとに分類し、整理し評している。

が、悲しいのは60年代生まれで分類が終わっていることだ。
我々80年代はどうした80年代は。

やはり分類は実作を作っている世代でストップする。70年代も相手にされていない。
だが、今から時代を担うのはむしろ分類されていない70、80年代の世代ではないか。
いい意味でも悪い意味でも世間を驚かしている輩に20代は多い。いつの世代も新世代と言われ時代を作るのは10代20代だ。つまり、批評を完遂するのであれば、まだ見えない我々を氏はどう見るか、という視点が必要ではないだろうか。
10代20代は人生の価値観を最初に構築する一番大事な時期だろう。
だが、回りの世代が我々をどう見るのか、といった論評はほとんどない。
これはいいことではあるまい。
奇人、変人さんがたまたま10代というだけで10代がニュースで浅く語られることにはほとんど意味がない。
そうではなくもっと対等に我々を批評していただきたい。意識されることが成長するための最も根本なのだと思う。

文章の後半で安藤氏について述べられており、これもまたおもしろい。
その中で一番興味深かったのは、五十嵐氏の言葉ではなく、そこで紹介されている中国人アーティストの言葉だ。


安藤の建築には、自然との調和と対比の両方が認められ、東洋と西洋の両面をもつ、あるいはそのどちらでもない

安藤建築はその多くを見ていけばいくほど、評しがたい気持ちになる。

いいとも、悪いとも言えない気持ちになる。

(個人的に地中美術館は文句なくよかったけど、それでも一般人が普通に美術館に訪れる気持ちで行くと楽しくないかもしれない)

(淡路夢舞台は、コンクリートがこんなにも自然と調和することができるのか、と感動したが、その巨大なコンクリートの塊を無条件によしとする気にはなれない)

(司馬遼太郎記念館は、回廊と、庭と、内部の本棚の空間がとても心地よいのだが、果たして司馬遼太郎だけに向けられたものなのか、和はあるがどこか西洋的な感じはこの場合一体どうなのか)

などなど。
そのなんとも言えない気持ちを的確に表現したその言葉は、とてもうまい。
私も今度から安藤氏のことを、そのように後輩に教えようと思う。


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2005.07.27

【石川県能登島ガラス美術館】(1991)

石川県能登島ガラス美術館は1991年に国内初のガラス専門美術館としてオープンした。

設計:毛綱毅曠
所在:石川県七尾市能登島向田町125-10
竣工:1991年

→【石川県能登島ガラス美術館】(1991)

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2005.07.25

【京都駅】(1997)

設計:原広司/アトリエ・ファイ建築研究所
所在:京都府京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町
竣工:1997(平成9年)

→【京都駅】(1997)

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2005.07.07

「2010年の建築デザインのキーワード」

2010年の建築デザインのキーワード。

少し古い記事ですが、日経アーキテクチュア2005 1_10号の記事に「2010年の建築デザインのキーワードは何か?」という特集が組まれていました。


紹介したいのは、この記事の中で12年前に行ったアンケート。
1993年に「デザイン活動を行う上で手がかりとなるキーワードは?」との問いに、

「ネオ・モダニズム」
「ミニマリズム」
「ゲニウスロキ」
「バナキュラー」

という答えが返ってきたと書かれています。

建築に関わっている方ならばそれなりに馴染みな言葉だと思いますし、少なくとも耳にしたことはあると思います。

といっても詳しく解説するとぼろが出そうなので、調べつつ説明させてもらいマス。

「ネオ・モダニズム」
日本語にすれば新近代主義のことを指します。
なんつーか近代派・伝統派とか、「これからはモダンだ」とか、「いやいやポストモダンだ」なんていうような、派閥を超えて、何でもありな思想のことでしょうか。
結局これは主流どころか、今では全く消滅してしまいました。
が、これ、複雑化し固有さを求めた建築のことを指すのであれば、今現在、ネオ・モダニズムとも言えるんですかね。わかりません。

「ミニマリズム」
もともと絵画芸術に使われた言葉らしいですね。アメリカで生まれた美術運動で初めて使われたそうです。
建築も同じですが、要は主観や表現、感情といった要素を排除した、純粋さみたいなものを求めた思想です。比較的新しい思想ですね。
本の引用ですが、「立体にせよ絵画にせよ、規則的な反復、システマティックな表現、造形的な要素の極小化などの共通項を持っている」そうです。
モダニズムの空間は究極にはミニマリズムになると私は思ってるんですが、違いますかねえ。
代表的な方は「白い、ガラス、何もない」なSANAAデス。

「ゲニウスロキ」
日本語で地霊です。
要するにその土地固有の環境条件を敬い、最大限発揮させることだと覚えています。
レンゾピアノがこの言葉を使っていますね。
仰々しい言葉ですが、今ではある意味当たり前なことでしょう。

「バナキュラー」
ゲニウスロキ同じと思っていて間違いない・・・はずだけど。
バナキュラーとは土着的、自然発生的、という意味です。つまりその土地に根ざしたような固有のもの。
シーザー・ペリ アンド アソシエイツ ジャパン㈱ 禿 和雅氏の解説を引用させてもらいます。


「立派な建築ではなくどこにでもありそうな特徴のない建築」
「その場所の特徴を受け継いだそこにしかない建築」

だということです。

今、上記のキーワードは新鮮なものではないです。
言葉もとっても仰々しい。
当時意味がわからなくても当たり前のことだと思います。

しかし、今現在、直接的にそれらの言葉を使うことはありませんが、その思想自体は今の時代のスタンダードといえません?
12年前に求めていたものは、着実にその方向に向かって時代を進めてきた。
その推進力の中に建築家があったことは確かだし、その方向は決して間違っていなかった。
それは建築家にとって思想創作のモチベーションになる。
なるほど、建築家の楽しみはそういうところにもあるのか、と改めて思いました。

では、現在から5年後、2010年のキーワードはなんだろうか。
前述から考えてみれば、このキーワードは私たちにとって直接影響を受けるものになるはずで、自身の建築活動の指針を占うものになります。

みんな変なキーワードはやめてくれよ~、ってことで見てみますと、

「環境」「ハイブリッド」「身体感覚」「エネルギー」が上位4位だそうです。

総評としては環境系、人間回帰的なキーワードが圧倒的多数だったそうです。

どう思いますか、このキーワード。

技術的なキーワードだともとれます。そう考えるとあまり楽しくない。
しかし、私が思ったのは「最新技術を用いた原始的建築」なのかなぁという感じです。

ばりばりハイテクな竪穴式住居?

アプローチはいくつかあると思います。
SANAAの21世紀美術館。
藤森氏の高過庵。
参考になるのでは、と思いますがどうでしょうね。

結局、建築が環境に対して考えることは、それ自体矛盾しているといえます。
それを乗り越えて、建てた方が環境にとって、次に人にとってよいと胸を張ることができるように頑張っていっているんだと思います。

最後に五十嵐太郎氏の出したキーワードです。

「美しい国」

この言葉は、国土交通省に向けた、やばい、という意味であげたキーワードなんですが、

これ、わたしは一番しっくりくるんですがどうですか?

個々人がそれぞれ、美しい国を作ろうとする。
もちろん遥か昔から誰もがそういうことを考えて建築を作ってきたんだろうけど、改めて「美しい国」って漠然としたものにそれぞれ立ち向かう勇気が、なんか21世紀的じゃありませんかね。


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2005.06.25

【横浜大さん橋国際客船ターミナル】(2002)

横浜大さん橋国際客船ターミナル(2002)

場  所 : 神奈川県横浜市中区海岸通1-1
建  築 : foa
構  造 : SDG
構  造 : 鉄骨造・一部コンクリート造
竣  工 : 2002年6月

→【横浜大さん橋国際客船ターミナル】(2002)

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2005.06.17

「吉村順三展のためのレクチャーレポート。」

先日、小規模且つ身内ではあるんだが、吉村順三展のために、吉村順三はいかなる人であったか、という感じのテーマでレクチャーを行った。


半座談会みたいなスタンスのレクチャーではあったが、それなりにおもしろく聴くことができた。

我々以下世代にとって吉村順三に関する知識は、ほとんどないのが当たり前なのではないだろうか。日本の建築界を率先してきたということは知っている。山荘も知っている。しかしそれだけではないだろうか。
吉村順三氏を意欲的に調べることはあまりない。

軽井沢山荘でも言ったような気がするが、彼の作品は今現在の建築にマッチ"しすぎ"ているよに思う。今我々が気持ちよいと思う空間、つまり開放的な こと、ワンルーム、テラス、全面開放窓などが当たり前のようにそこにある。コンクリートの表情や外壁の木材が時代を感じさせるのに、その建築はいたって新 鮮さを失わない。
目新しいという意味の"新鮮さ"ではない。

ただ、気持ちいい。

そんな感じ。

っていうか住宅の中入ったことあるのは山荘だけだけど( ̄ー ̄)ノ

レクチャーの中で、吉村氏は新しいものが好きで、どっかから湧いて出たアイデアを最後までどうしたらできるか。できるようにするにはどうするか、ということにとてもこだわって仕事をされていたそうだ。

独創的な思想のもとに、今現在スタンダードとなっている住宅の気持ちよさを創造できたのだろう。
やはり、独創と奇抜は違う。
挑戦的でありながら、決して異端ではない。

とても時代にあった展覧会ができそうだ。
是非期待したい。


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2005.06.16

「谷口吉生のミュージアムの本人講義」

6月18日に谷口吉生のミュージアムの本人解説と講演があり、行ってきました。
残念ながら、公開ではなかったため知らない方も多いと思いますが、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。


「谷口吉生のミュージアム」自体の説明はしないのでどうか訪れて見て欲しいと思う。
谷口氏は、説明の中で、「敷地」というフレーズを数多く使っていた。
つまり、site specificである。

  敷地を訪れ、見て初めてそこにビジョンが浮かび上がる。
  そこにできあがる建築の成り立ちや思想はそれぞれ全く異なる。

という氏の考え方だそうだ。また、

  常に独創的でありたい。
  人と違うことをしなければならないし、そうでないと楽しくない。

ともおっしゃっていた。
まさか、谷口氏からそういった言葉を聞くとは思っていなかったため、これにはとても驚いたし、興味を持った。
氏の作品はどれも「敷地」つまりsite specificを感じさせるものではない。
彼の作品の中で異質に感じるものは「葛西臨海水族園」くらいなものであると私は思う。これは、敷地に訪れ、感じなければできない建築であることは一目でわかる。
しかし他の作品はどれも超越的で、谷口建築ともいう、確固たるジャンルを作り出しているではないか。
宝物館、京都国立博物館百年記念館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、そしてMoMAまで、その建築から固有の敷地を感じさせる作品は多くはない。

これについて谷口氏はこのように語ってくれた。

  建築家は最後には自分のやりたいことをやろうとするのだから、
  どの作品であれそうなるのは仕方がないこと。
  しかし、site specificとは回りが赤だから赤系の色を塗ることではなく、
  例えば新旧のような対立的な調和もある。どれも同じではない。
  
  また独創的であることと、奇抜であることは違う。
  誰もやっていないこと、「独創的」とは造形を指すだけだはない。

と、このような説明をしていただいた。(話した言葉通りではない。内容だけ。)
話自体は理解しやすい。というか、どこでも聞くような内容だと思う。
しかし、谷口氏が語ることに意義がある。
私にとって谷口氏は何か完成された一つのマニュアルのような位置にいる方だ。
その作り方は洗練され、作られた建築は悩んだ素振りも見せないよな絶対的な自信を持った空間となる。そんな彼の建築にはいつも独創的であれ、という思想が根幹にあった。
谷口建築とは、独創的な思考を辿りながら、究極にまで洗練されたインフォーマルな建築だと言えるのではないか。

そう考え直せば、彼ほど独創的にモダン建築を作れる建築家はいないのではないか。
そう思った。

MoMAのコンペにおいても、とても戦略的に提案をし、勝ち取ったという意味では誰も考えつかない建築なのだろう。

個人的には谷口氏が「水」というものについてどういった視点と思想を持っているのかも知りたかったが、とても楽しい講義になった。


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【福井県立図書館・福井県文書館】(2003)

福井県立図書館・福井県文書館
竣工:2003年
設計:槇文彦
住所:福井市下馬町51―11
面積:敷地面積:70,246㎡
延床面積:15,317㎡

→【福井県立図書館・福井県文書館】(2003)

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2005.06.09

【石川県西田幾多郎記念哲学館】(2002)

設計:安藤忠雄
所在:石川県河北郡宇ノ気町内日角井1
竣工:2002年

→【石川県西田幾多郎記念哲学館】(2002)

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2005.06.08

【福井県立恐竜博物館】(2000)

福井県立恐竜博物館(2000)

設計:黒川紀章
所在地: 福井県勝山市村岡町寺尾51-11
構造: 地上3階 地下1階(鉄筋コンクリート造)
敷地面積: 30,000㎡程度
竣工:2000年

→【福井県立恐竜博物館】(2000)

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2005.06.07

【金沢21世紀美術館】(2004)

設計:(株)妹島和世建築設計事務所+(有)SANAA事務所共同体
所在:石川県金沢市広坂1丁目2-1
構造:鉄筋コンクリート造+鉄骨造
竣工:2004年

→【金沢21世紀美術館】(2004)

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2005.05.12

【軽井沢の山荘/吉村山荘】(1962)

設計:吉村順三
所在:長野県北佐久郡軽井沢町
構造:1階:鉄筋コンクリート造 2階:木造
竣工:1962年

→【軽井沢の山荘/吉村山荘】(1962)

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2005.05.07

「DOCOMOMO100選展」

DOCOMOMO100選展に行ってきました。
これって3月から展示してるんだったんだけど、なかなかワタシの足が汐留に向いてくれなかったから結局最終日前日になってしまいました。汐留で建築展が行われることが珍しいため、企画のできというか、展示内容的に軽く疑っていたところがあったんだけど、思った以上になかなかおもしろかったデス。
一番印象に残ったのは何と言っても、出てきたときに入場制限がかけられており、かなりの人が列をつくって待っていたこと∑(・o・;)建築がブームなのか、行くとこないのか、観賞がブームなのか・・・。とっても楽しかった。

ってそんなとこしか見てないワタシは建築を考える人としてどうなのか・・・

文化遺産としての建築、という主旨で集められた建築の写真や図面、模型等が選定のコメントとともにずらり100点並んでいる普通な感じの展示で、建築をかじっているワタシとしては馴染みのあるもの、体験済みのものが数多くありました。

文化遺産としての建築。それはそれでいいと思います。もちろん。だってやっぱり後生に残るだけの魅力だある建築だと思うので。"建築をかじっているものとすれば"ですけど。
自分がいつもこういうものを見て思うのは、内輪でわいわいやってるだけなんじゃないか、ということです。国際文化会館。確かにとても貴重です。あの建てられた年代、建築のもつ雰囲気や設計者を考えればもちろん遺産です。間違いない。けど、世論は取り越すことにも残すことにもたいした興味を示していません。儲からないから壊す。残すよりもとっても自然で、理屈がたつような気がします。この一般世論と建築分野の人たちの意識の違いを取り除けない限り、いくら建築家が残すといってもいつか取り壊される。村野藤吾のそごうもその一例です。

残すべきいいものとは理屈ではありません。誰がいつ見てもなんかいいもの。それが遺産になっていくものしょう。このdocomomoに選ばれた建築たちも、今後解体されてしまうものがたぶんあります。だけど大事なことは、建築は残すためあるわけではないということです。すべての意味で愛される建築をつくること、そうすれば必ず残っていくはずだと思います。
その役目を終えたものはやはり消えていくしかないんでしょうね。

その建築たちは自分の糧となるよう記憶に残していくことが建築に携わるものの役目でしょう。

なんて思いました。

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2005.05.04

【湘南台文化センター】(1990)

設計:長谷川逸子
竣工:1990
所在:神奈川県藤沢市湘南台1ー8

→【湘南台文化センター】(1990)

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2005.04.01

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