「オルタナティブ・モダン 建築の自由をひらくもの」

オルタナティブモダン
建築の自由をひらくもの

という本を読みました。2004年に発行された書籍です。
どうしてこう、建築言語とは難解なんでしょう。もっとわかりやすく喋ってもらいたいもんです。
文章になっている言葉はどこまで本当に、つらつら喋っているのかわかりませんが、みなさん賢いですね。
ほんと。
建築言語で建築を語っている限り、決して建築業界の四面楚歌というか、相手にされない、必要とされない状況は改善されないと思うといつも言っていますが。
エンドユーザーがついてこないのは確実にわかります。
ハウスメーカーの広告のような、わかりやすい言語に昇華することができて初めて、このくそわかりにくい議論にも意味がでてくると思うんですが。

この本は全5冊の小冊子からなっていて、4冊は建築家の講演内容、一冊はそれを総括する形で批評家、エンジニア、計画家が議論しています。
「オルタナティブモダン」とは、ありえたかもしれないもうひとつのモダニズム、という意味。これまでのポストモダン等、モダニズムからの脱却を
図ってきた近現代建築は、そもそもモダニズムを時間軸の中のひとつのトレンド(様式)のように扱ってきていたんだけど、しかしどうにもうまくいかない。
そこで、時間軸で直列に一つの様式を並べるのではなく、分類できない建築たちを並列して並べることでモダニズムの意味を問い直せないか。
そういう感じです。
で、
私が興味をもった箇所がいくつかあって、それを忘れないうちに書き留めておこうと思いました。
モダニズムのそもそもは、アドルフ・ロースの「装飾は罪悪である」という思想から始まっています。
ロースは、一つの様式、一つの思想で建築を作ることは、その使用者に対して、過度に行動や思想、生活感を制限してしまう、それではいかん、と言いました。
例えば、部屋を全部、未来的に、丸みをつけてアルミでぴかぴかに覆ったら、その空間には木の家具やアンティーク、角のあるものは置くことができません。
置いたとしたら、空間の統制がとれなくなることが誰が考えてもわかるからです。

極端な例でしたが、要するに、使用者がどう使っても部屋のデザインがバラバラにならないように装飾、建築を考えろ、と言いたかったわけです。

しかし、その言葉は、だったら何を置いてもしっくりしちゃう空間、つまり白い箱がいいじゃん。という風な誤解(?)を生み、白い箱のような空間がトレンドになりました。
モダン、と言われるそもそもの空間です。
さらにル・コルビュジェは装飾と構造を分けて考える「ドミノ・システム」を提案。
これが決定的になり、装飾と構造はまったく異なる概念として現在にいたってきています。
ミースが言った「Less is more.」という言葉もまさに、装飾と非装飾(構造)、つまりはシンプルとコンプレックスは対立しているという根底にあります。

改めてモダニズムの流れを見てみると、モダニズムとは、誰がどこでも同じように使える、という思想ではなく、建築の多様性の思想であることがわかります。
建築の多様性とは、簡単に言うと一人のための建築ということです。
そもそもモダニズムと多様性は相反するものという考えをどこかで抱いていたけど、ここではもはや今までのモダニズムの定義は当てはまらない。
結局我々はモダニズムのほんの一部しか見えていなかった。
モダニズムの持つ恐ろしく広い定義の中のホワイトキューブしか知らないんじゃないだろうか。
ま、言い方の問題でしかないのはわかっているんだけど、やっぱり、モダニズムとは違う、地域に根ざしたバナキュラーなものを作りたい、とか言うように、ポストモダンは馬鹿にしながらも結局、
脱モダニズムを目指していたような気分とはかなり違ってくる。
脱モダニズムではなく、モダニズムの中の一つのベクトル。
それがどうしたって感じだけど、なんかやっぱり大分違うのよ。
なんか。

それで、思い出したのが、今流行っているらしい、黒と白の世界。つまり身の回りのモノが白と黒で統一されている。
白い部屋に黒いソファーやテレビラック、無機質なアルミ調のオブジェ。
何らや、普通の方達の思考は一回り遅いらしい。
これこそ20世紀、モダニズムの求めていた世界。
彼らは今、モダニズム思考になっている。インテリアショップ等、売る方も買う方もモダニズム。
デザインを生活に取り込もうとしているだと思います。
けどね、建築のことばっか考えてる人たちは、もうそこにはいないのです。
いかにモダニズムの他のベクトルを探し当てるか、「あなたが幸せになる唯一の空間を提供できるか(モダニズム言語でもよし)」を考えています。
そんな思考の時間のずれがどうにもくやしいです。
やっぱり、我々の思考が伝わりにくい、わかりくいのだと思う。
難しい思想は東大の方達におまかせして、私は、それをかみ砕いて伝えないといけないな、と改めて思った今でした。

で、

ザ・モダニズムの空間を求める若者たちは、それはそれでいいんですよ。
デザインが世の中に浸透してきた証拠だし、デザインが人生に必要なものだと、人生を豊かにしたりスパイスになったりするんだと気付いてきたんだと思います。
だけどね、これからデザインを見極める力を養ってもらいたいなあと思う。シンプルで生活感なくて、白と黒でびしっときめたらそりゃあおてがるにデザイン空間かもしれないけど。
そこから始まるものだから、そこで終わってほしくないと心から思います。
イイモノとダサイモノを見極める力は、いいとされるものを沢山見ること。椅子もテーブルも照明も棚も。
そうでないと、生活感がないだけの空間になるし、それは実際住みにくいですし。
それを教えるのもデザインに関わる人たちの役割だと思います。

話があっちこっちいってしまったけど、今だに建築を含め、デザインは、モダニズムとは何なのか、という問題に答えを出せていません。
答えなければならないのではなく、そこを理解し消化しないことには新しいことはできないと思うので。

ポストモダンはおろか、モダニズムでさえ聞きかじったにすぎない我々の世代は、それを体験してきた世代とは明らかに違うはず。
そんな自分自身をちゃんと理解できるようになったとき、モダニズムというベクトルの集合体は、ゆっくりと解体を始め、形をなくすように消えて行くのかもしれません。



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.2005.11.18
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