【能勢妙見山「星嶺」】(1998)

始まり

東京発の夜行バスが僕たちの最初の目的地、大阪梅田駅前に到着した。時刻はもうすぐ午前7時になろうとしていた。

空はすでに青味を帯びていて、駅には通勤客が目立ちはじめている。

夜行バスを降りた朝というのはいつも感じることだが、大きなリュックを背負った僕らはそんな日常にうまくとけ込めずにどこか取り残された気分になる。

トイレで顔を洗い、歯を磨いて、この日は暑かったからタオルで体を拭いて旅の準備を整える。

そうやっていつも夜行バスの疲れを無視するように気持ちを切り替え、旅が始まるのだ。



梅田駅からほど近くで、予約していたレンタカーを借りて車に乗り込むと、あとは旅が終わるまで時間と体力の勝負となる。

いかに多くの場所に行き、多くのものを見て、しかも一日の終わりに温泉でゆっくり楽しめる時間の使い方が出来るかどうかが、旅の成否を決定すると言ってもいい。

そこにはある種の脅迫感というか切迫感というか、競泳のテレビ中継で、レースの終盤、世界記録を示す白いラインと競い合っている選手が記録更新なるかどうかと、思わず手に力を込めて応援している気持ちに近いと思う。

おしりのあたりがむずむずするような焦りと希望。それでいて達成できないからと言ってさしたる感情が湧くわけでない、無責任な感覚。出来ても出来なくてもいいや、ゆっくり行こうぜ、なんて言いながら知らず知らずのうちに、アクセルが踏み込まれていたりする。

なぜか知らないが、「若干の無理」は、旅に欠かせない大切な要素になっているのだ。

そんな意気込みとも何ともつかないものとともに車は進み、大阪を離れて、山奥のとある寺へとたどり着く。


能勢妙見山信徒会館「星嶺(せいれい)」  設計 高松伸

高松氏といえばもちろん風変わりなデザインであり、もちろんここも例外ではない。
普通建築を見るときのポイントは、構造的、機能的側面から合理性や整合性や、雨水の処理や汚れ、室内環境などだろうが、こんな形のデザインをしている時点で、あれこれ常識を盾にとって語るのが有効ではないのかもしれない。

短い登坂の参道を本堂へと進んで行く。

息を切らす間もなく本堂へと辿り着く。ガラスと木で構成されたファサード。そのガラスにもたれかかるように一人の少年がいた。中学生くらいに思われる少年は、短パンにサンダル、白いランニングシャツを着ていて、だから地元の子であることは確かだと思われた。

少年の視線は空へと続いている。それは見ている、というよりは眺める、といったほうが近く、誰かと待ち合わせをして暇を持て余しているようにも見えた。僕は一瞬、その少年に気をとられたが、足が惰性に流されるように進み参道を登り切ってから、自然と歩みを止めた。

少年は、僕らが到着を待ち侘びていた待ち合わせ相手であるかのように、すっとこちらへと視線を移した。まるで僕らがここに来ることを知っていたかのようにも見えた。

少年は、そのまま僕の目を見据えて言った。「この建物、何か知ってる?」

「へ?」

思わず僕らは顔を合わせてしまった。友人は困惑の表情をしている。僕もきっとそうだろう。

「・・・能勢妙見山の、なんたら会館・・・。あーっと・・・」

「・・・。そう、覚えてないんだね」

実に抑揚のないしゃべり方だ。子どもとは思えない。最近の子どもはみなこうなんだろうか。君は誰だ、と返そうと思ったが、少年に先を越された。

「じゃあ、キミたちは誰?」

「・・・東京から来た旅行者だけど」友人が諦めたように答えを返した。

「そうじゃない。それじゃ答えになっていないよ」

「ふぇ?」

「キミたちの本質をキミたちは何だと思う?」

「本質って言われても、なあ?」
僕と友人はまたも顔を見合ってしまった。うーん、まぬけ面だ。友人は唐突に訪れたこの状況を理解することを放棄しているようだ。こいつからは本質なんてものはいくら掘って探しても見つかるまい。中身のない、ファサードだけの男と言ってもいいだろう。
そんな僕らの思考を無視するように、少年は喋りだす。

「・・・。人の本質はみっつに分けて言うことができる。躯体と、魂と、名前。理系的に言い換えればアウトプットとプログラムと識別番号とでもなるのかな。じゃあさ、そのうちもっとも重要なのはどれだと思う?」

「は・・・?クタイとタマシイと・・・?」

「・・・。答えは全部なんだ。どれも欠かすことのできないもので、お互いに補完しあって本質を構成している。躯体とは現実、現在を意味している。魂なんて妄想だけど、その妄想が現実を生む。じゃあ名前は。名前は、現実を生み出す妄想を制御するための装置であり、鍵なんだ。
現実と妄想との境界は、物理的に質量を持つかどうかで決まる。躯体がなければすべては現実ではなくて、妄想にすぎなくなってしまう。だけどこれは倒錯でもある。妄想によってこそ現実は作られているとも言えるから。

現実とは未来への妄想で、過去はその結果だ。だから現実を直接定義することはできないんだよ。これはきっと反証できない。・・・客観的な立証もできないかもしれないけどね。
じゃあその妄想を制御するためのプログラムはどこから生まれるだろうか。それはさっきも言ったけど、魂からでしかありえない。魂があってこそ妄想は成立し、それによって今が存在している。

次。名前はプログラムの重要なコントロール装置だ。識別は正確で固有でなければならない。個有の妄想を人の本質とするのなら、それは何よりも守らなければならないものだ。ハッキングされるなんてもってのほかさ。乗っ取られた時点でキミたちはキミたち自身ではなくなる。簡単な理屈だろ?
そう。
名前とは本来、自分以外の他人に知られてはならなかった。名前を知られるということは、大事な一人娘を人質をとられることと同じようなものだ。だからかつて人は、本来持っている本当の名前のほかに、通り名を持っていた。一種のプロテクトだよね。
本当の鍵は見えないところに隠していたのさ。キミたち、諡(おくりな)って知ってる?」

「・・・死んだ人に付ける名前のことだろ」

「んふ、そう。だけど違う。本来、諡は諱(いみな)のことを意味していた。諱とは死人に与えられる名前ではなくて本当の名前のことを意味していたんだ。生きている間に使用した名前は、字(あざな)と言っていた。
わかる?
つまり、名前とは他人によって識別されるための番号ではなく、自分自身を制御するためのidやパスワードだった。他人の名前を知ることはすなわち、その相手を乗っ取ることができる。
当時の人にとってこれほど恐ろしいことはなかっただろうね。本気でそう考えていたんだから」

「・・・」

旅の始まりからいったい何が起こっているんだろうか。彼の言っていることとシチュエーションがどうも一致していない。田舎の山で少年に哲学を説法されているなんてそれこそ現実的じゃないじゃないか。彼の言い分で言えばこの現実的な状況はこの少年と自分との妄想の結果であって、じゃあ非現実的な今の状況は、どういうことになるんだろう。単なるプロットのミスなのではないか・・・?
隣の友人はもはや理解することを私に託し、吐き出したタバコの煙を静かに眺めている。いや、こいつのことだ、ありがたい場所でありがたいお話を聞いて何かしら悟りを開いたのかもしれない。
彼は、一息おいてまた話し出した。

「なにが言いたいかって。この建築の役目は一体なんなのかって考えていたんだ。いや、この建築に限らずかな・・・。建築は人ではない。だけど妄想の結果なのは確かだ。人は自分と他人の妄想の結果の中で生きる。キミたちは今からその中に入る。
建築の名前を知ることなど何の意味も持たないと思う?
この建物の名前、ほんとは「星嶺」っていうんだけど。
だけどそれがたとえ妄想の産物に通り名をつけたにすぎないとしても、建物に名前をつけることの意味ってあるのかな。諡とは違う、識別されるための記号にすぎない名前であっても。
かたち?
妄想の結果に過ぎないこの形が他者を区別するための重要なファクターになり得るの?
いや、そうだとしてもそれで何が変わるんだろう?どれほど重大な本質なんだろう・・・。」

少年が初めて顔を伏せて目をそらした。悲しくも見える。それはやはり少年には似合わない表情に思えた。悲観しているのだろうか、建築に。それとも重要な何かを僕たちに伝えようとしているのだろうか。僕はその意味を量りかねた。

がた、という音が少年の後ろから響いた。

そして「改めていい建物だなぁ、こりゃぁ。よし、帰るぞぉー」という野太い声とともに、その父親とおぼしき小太りの中年男が建物の影から見えた。その顔には見覚えがあったがここでは記すまい。

少年は名残惜しそうにこちらに顔を向けたが、それも一瞬だけで、すぐにうつむいて「はーい」と小走りで父親のあとを追って行き、僕らの視界から消えていった。

それだけは、少年らしく、違和感のない光景だったように僕には思えた。

少年を見送った僕らは暫くその場に立ったまま、「星嶺」を眺めていた。
隣の友人が、短くなったタバコの火を消し、 建築には一般論はないけど、と呟く。

「建築には一般論はないけど、この土地と形と名前をもらって、雑誌とかwebなんかでそれをみんなに知らせてさ、それってつまりさ、俺らがこいつの妄想を引き受けていることになるんだろうな。
まだこいつは妄想でしかなくて、魂でしかなくて、建築の現実は、これから起こる出来事なんだろうな。あぁーと、だから完成するのは名前が無くなった時のことになるんだろうよ、きっと。」


「・・・。お前、何気に、ちゃんと聞いてるのな・・・」


「ふん。にしてもこの建物、全然良くねえよ。この話も全然つまんねえよ」


「!!」


うわぁーん。僕は耳を塞いで参道を駆け下りていった。



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.2007.08.05
COMMENT

ひさびさの更新おつかれさまです。

この建築が雑誌に発表されたときはとても衝撃的でしたが、その衝撃は「すばらしい建築」という感想には直結しなくて、とにかく「衝撃的」だったことだけを覚えています。

この少年の話がリアルなのかアンリアルなのかを考えるのは野暮なことでしょうが、ひとつの建築がつくりだす物語としての読み物としてはとても興味深かったです。

とも  2007.08.07

おしさしぶりです!

働き始めると、文章を書いたり、画像を加工したりするよりも、「更新する」という行為がとても面倒になってしまい、更新が滞りました。
とはいえ、もともと滞りがちなんで、働いているせいかどうかは実際のところ不明です・・・。

この建物、実際に人が集まって使われているところを見たのではないので、どう使われるのかは、よくわかりません。
ただ、求められて作られるのが建築ですので、そこにあるであろう物語や人の行為を感じたいなと思いました。

最近どうも建築のもつ論理的や学術的な側面、また、批評性にあまり意味を感じません。前からその傾向はありましたが、殊更に。
だからといって、写真だけを提供して、暗黙で語り合うことはもっと意味がありません。
いつも思っていることを、面白く、読みやすく、ごく当たり前に書いていくつもりです。

ではまたよろしくです。

zubora  2007.08.13


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