【香川県庁舎】(1958)

香川県庁舎

設計:丹下健三
住所;香川県高松市番町


「駅前って、結構発展しているんだね。高松って」
頭に思い描いていた光景と違っていたのだろう。彼は、見直したよ、言わんばかりに驚いてみせた。
「駅ビルもできたしな。確かに結構大きいよな」
「うどんの匂いがしないのが非常に残念だ」
「街全体がうどんの匂いがしたら嫌だろうに」
そもそも、うどんに匂いと言えるほど明確な匂いはあっただろうかと考えてしまう。
「ベルギーは国全体が甘い匂いがしたじゃない?オランダは海臭かったし、東京はどぶ臭いし、さっきの徳島は田舎臭かったよね。匂いって、その空間を特徴付ける立派な構成物のひとつじゃないかなぁ。うどんはうどん粉じゃない?だからきっと粉臭いはずなんだけどな」
なんだ粉臭いというのは。それにベルギー以外はいい匂いとは言わない。徳島に至ってはもはや嗅覚を必要としていない。
「よし。話が進まないから、さっさと名建築を見てしまおう」
「残念だ、うどんはその後かぁ・・・」



香川県庁舎。この庁舎は、現代日本建築界のドンともいえる丹下健三氏によって建てられた。氏はすでに逝去されているが、日本各地に氏の建築は残されている。その中でもこの建築は、氏の代表作のひとつといっていいと思う。やはり見ないわけにはいかないだろう。優先順位がうどんの後では、少々申し訳ない。
「隣の建物もタンゲ建築っぽいんだけど、あれ、なんだっけ」
隣接して建っている高層の新しい建築を仰ぎながら、隣に立つ友人が僕に聞く。彼は建築を学びながらも、建築物にはほとんど無知である。
「ぽいんじゃなくて、正真正銘のタンゲ建築。その新しい方が新庁舎で、今回の目的は隣の旧庁舎です。まあ新しいのが本館で、旧庁舎は東館って言われているんだってさ。どっちも現役。どこかしら意匠を似せているけど、雰囲気や佇まいが比較にならないほど違うよね。本人が作ったんだけどね、まあたとえ本人でも名建築を越えるのは簡単じゃないってことなんだろうさ。断然、旧庁舎の方が、かっこいいと思うんだけど。どうかな」
僕は自分の発言を噛みしめるようにうなずいてみせた。しかし、そんな僕の一般感覚は彼には通じない。
「そう。いや、そうかなあ。ひどいこと言うなあ」と言って、あごを手ではさんで擦りながら考えているそぶりをみせる。
ああ。いつものこととはいえ、めんどくさい。こういうときは、多少異なる印象を持っていても、「まあ、そうかもね」とか、「ああ、うん」ぐらいに控え目にとどめておいて他人との摩擦を嫌うのが大人のマナーじゃないか。
こっちだって特に、固執するほどの感想も執着もない。だけど、いやだからこそ、改めて否定されると、とことんつっこまずにはいられなくなる。僕はつっけんどんに、
「なんで。おまえはそう思わないの」と言い捨てた。



そんな雰囲気を察するはずのない彼は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、
「きっとね。きっと失敗しちゃったんだよ。なんて言ったっけ、なんたらも筆のあやまり、だっけ」
・・・おまえの方が、よっぽど失礼だと思うんだが。
「なんていうのかな、うまくないパッチワークみたい、って思わない?デザインの良し悪しじゃなくてさ。うーん、建物だけでなくて、街も、匂いも、そうかも。この建物のせい?まあ、僕は匂いについては、せっかくならいい匂いがいいけど。いや、今思いついたんだけど、ベルギーの匂いさ、ジップロックに詰めて持って帰るべきだったと思わない?ワッフルの甘い匂い、嗅ぎたいなあ。せっかくだからここの匂いもジップロックにしておこうかなあ。ねえ、記念だし」
だったらうどんをジップロックに詰めてさっさと帰ったらどうだ。出掛かったその言葉を何とか飲み込んで、代わりに僕は聞き返す。
「パッチワークっていうのは、この建物のことを言ってるのか?」
彼は、だからね、と言って話を受ける。
「例えばこの庁舎で言ったらさ、敷地全部っていうか、空間の中には小さな粒子みたいなものが詰まっていて、あ、ほら昔の人たちが考えていたエーテルみたいなものっていうのか、そんな見えない液体で満たされているのね、うん。それで、その粒子の大きさや、疎密とか、あと粘度とか匂いとか、そういう特徴を持っててさ。ここの空間に入った人たちの動き具合を方向づけるの。もちろん粒子の動きは一様にはならないし、お互いに干渉し合うわけだから波を立てたり押し返したり、留めたり、足をすくったりもする。
だけどそうやって攪拌しているのは、そこにいる人たち自身なわけ。みんなで空間を練ってるんだね、うどんとかたくさん練ってるからきっとみんな上手だと思うな。えーと、それでね、それはそのうちちょっとずつ敷地を飛び出して、街に混ざっていくんだよ。僕に粒子一粒の匂いを嗅ぐ能力があれば、その匂いを辿ってさ、おいしいうどんの店に連れて行ってあげられるのになあ。残念だね、おなかが減ってきたよ」
こいつの人をなめた話し方は、何度聞いてもわざとなんじゃないだろうか、と考えてしまう。加えてやつのアホ面が、むかつきを一層増殖させているのは間違いない。




彼の話の主旨はなんだろう。じつは建築を使用する人たちこそが、その建築や周囲の空気感を作り出しているとでもいったところだろうか。建築物はその空間を満たす粒子を生み出す役目を負っているものの、そこにより相応しい個性を付与するのは人や時間だとする。時間が経てば粒子が沈殿し、人の足下を重く満たす。たとえば子供が多ければ、粒子は常に掻き混ぜられる。それこそ匂いなんかも。そうやって動かされた粒子の粒は、隣で静かに佇む粒子の隙間に入り込み、均整を崩し、動き始めるのだろう。そして、
「街の中心で、長い時間流され、崩され続けた旧庁舎の粒子は、いつのまにか、駅にも道路にも、うどん屋の隅にも静かに沈んでいるって言いたいのか?」
「うーん。どういうこと?」
むかつく。
「いやだからさ、新庁舎の凡庸さがあるとしたら、そのデザインを旧庁舎に似せようとしたコンセプトにあるってことじゃあないのか?表面的な均整は都市空間の構成上では必ずしも等しいとは言えない。それが隣接しているなら尚更、なのかもしれない。新旧という時代性以上にここの空気が決して上手に混ざっていないようなちぐはぐな感じが、パッチワークみたいに見えるような気がする。もしそうだとすると、時間が経てば経つほど、新陳代謝をしない粒子が沈殿して足下は重くなって、動きが鈍くなって、いつか空間が死んでいくような悪循環っていうかさ」



「あのね。あの、ほんとにさ」
「うん?」
「ほんと、いつも思うんだけど。何でもそうやって小難しく考えるのってほとんど病気だよね」
ごん。
「痛いよ、やめてよぉ」
「うるさい。職業柄じゃ」
「だから、職業病」
「それは病気じゃないわい」
「はいはい、ほんと怖い人だなぁ。...あのさ、朽ちてこそ美しい、って誰が言った言葉だっけ」
「は?いや、知らない。特定の人物がいるのかな」
こいつは何が言いたいのだろうか。
「錆びるとか、欠けるとか、崩れるとか、変化していく過程を朽ちるっていうのかな。壊れるって言葉とはなんか全然違うよね、感覚的な話だけどさ。木とかさ、日本の建築の歴史なんて朽ちていくのが前提なんだよね。それってみんなが当たり前だと思う感覚なんだよ、たぶん。壊すんじゃなくて朽ちていって、結果論として壊れるっていうか、壊しちゃった、みたいなのって、大事だよねぇ。」
「うん...、まあそうなのかな。何が言いたい?」
彼は構わず話を続ける。
「ついこの前入ってきた、何もできない新入社員だったあいつがいつの間にか歳とっちゃって、目も見づらくなって、膝が悪くなって、建物の中で迷子になるようになっちゃって」
「極端な歳のとり方だな・・・」
「エレベータが必要になって。簡単な間取りを求めるようになって。要するに使いにくくなったの。だから壊しちゃうの。それは日本の建築感で見ると実はごく自然なことでさ」
「うん」
「新旧の違いはそこで、違うのかな。そりゃあもう。同じ感覚の中で、同じ歴史の中でパッチワークになっていれば、いいんだけどねぇ。きっと新庁舎が壊れるときがきたとき、それは旧庁舎のそれとは違うんだろうね」
なるほど、と思わなくもない。こいつの感覚には一理あるんだろう。パッチワーク的に都市と歴史を紡いでいくのが日本の価値観なのであれば、それはひとつの前提のもとに行われなければ、それはもはや混沌でしかない。そこには日本の価値観ではなく、あらゆるスケールでの個の氾濫になる。
今回は、素直に頷いてやろうと、僕は思った。

「うどんはうどんでも、讃岐うどんと他のうどんみたいなもんなんだな。少しは考えてるじゃないか、お前も」
「京うどんと東京うどんはまったく違う!!」
「ダシの話かよ!!」


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.2008.09.28
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